JUGEMテーマ:学問・学校
第1回は、特別支援教育への改革はインクルーシブ教育への改革としては筋違いというお話しを書きました。
第2回の今日は、「インクルーシブ教育システム」は権利条約の誤訳だというお話を書きます。
普通、国の教育制度などでは、条約の公定訳を基に議論します。しかし、不思議なことに文部科学省の同条約への対応の基本線を示した「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」では、署名時仮訳からの引用をしています。
同報告の該当部分を引用する。
○障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。
公定訳でどうなっているかを調べると、
障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習を確保する。(States Parties shall ensure an inclusive education system at all levels and lifelong learning)と書いてあり、「障害者を包容する教育制度」と訳されています。
(a) 障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと。(下線部:(a) Persons with disabilities are not excluded from the general education system)
(d)障害者が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を一般的な教育制度の下で受けること。((d) Persons with disabilities receive the support required, within the general education system, to facilitate their effective education;)
これらの一般的な教育制度は(the general education system)の訳です。
「インクルーシブ教育システム」の部分を訳しなおすと「生涯学習を含む全ての段階の教育制度がインクルーシブでなければならない」という事で、特別な「教育システム」なんて語っていない。普通の教育制度がインクルーシブでなければならないと言っている点が重要です。
同報告では、general education systemとinclusive education systemを並べて、一般の教育制度とインクルーシブ教育制度が対置するように書かれていますが、そんなことを権利条約は書いていません。インクルーシブな一般の教育制度を求めているのです。
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国連の障害者権利委員会からどうして叱られたか文部科学省も分かっていないのか?それとも分かっていて文科大臣は記者会見で即刻否定したのか?前者と仮定して、特別支援教育への改革と障害者の権利条約への対応をチェックします。
第1回は、特別支援教育への改革はインクルーシブ教育への改革としては筋違いというお話しです。
特別支援教育への改革の時に、場を分けた(分離教育)から一人一人のニーズに応ずる教育(ニーズ教育)へと改革しました。この時、軸がずれていたのだと思います。
この改革の背景にはインクルーシブ教育への潮流がサラマンカ声明(1994:この年に大谷選手も誕生し、29年前です)で顕在化し、分離教育は無理だという判断があったのだと思います。時の文部大臣が国会で、特別支援教育の本質はインクルーシブ教育だと答弁しているように、当時の問題意識の基本は分離教育は無理という判断だったと推察されます。
そうであるなら、場を分けた(分離教育)から場を分けない(インクルーシブ教育)へと改革すべきだったのだと思います(下記の?)。それでも、北欧でも特殊教育は存続している部分があり、何でも一緒という非現実な改革は考えられませんので、例外(分離教育)を部分的には含む上での、原則インクルーシブ教育で問題なかったのだと思います。
それに対して、特別なニーズ教育は、障害は病気なので手厚い教育をするという発想から、障害と言われている状態は、特別な教育的なニーズという視点から、ニーズに応じて個別最適化を集団を基礎に行うという発想です。その基礎には、健常児もふくめたニーズ教育を行うという発想があり、その反対は、学年などの標準のカリキュラムを一斉に授業で行うという「集団一斉授業」ないし「標準化されたカリキュラム」という発想です。標準化されたカリキュラムから個別最適化されたカリキュラムへの転換(下記の?)です。その一部であるべき特別ニーズ教育が、集団一斉授業を変えずに行えるとは考え難いのです。
?分離教育⇒インクルーシブ教育(共同教育)
?集団一斉授業⇒ニーズ教育(個別最適化)・・・特別ニーズ教育=特別支援教育
?分離教育⇒特別支援教育 ?か?が本来の軸なので、?は軸がずれている
障害者の権利条約を批准するために「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」で、「インクルーシブ教育システム」という曖昧な表現ですが、基本はインクルーシブ教育だということになりました。しかし、連続性のある「多様な学びの場」という表現で、分離教育を存続させ、従来と変わらないシステムという位置づけにしてしまいました。私は、例外的に、分離教育が必要な子どもたちがいるが、原則はインクルーシブ教育という考え方です。ところが、現状では、上記の報告が狙った通りですが、「インクルーシブ教育システム」=「多様な学びの場」=特別支援教育=分離教育、すなわち、「インクルーシブ教育システム」=特別支援教育という考えに普通の先生方を導いてしまったのだと思います。
そこに、「発達障害児」を早期発見して「特性に応じた指導」をしなさいと号令し、曖昧な定義のせいで、少しでも「変な子」=発達障害児なので、「特性に応じた指導」=「特殊な教育」=特別支援教育(システム)という判断を通常の学校がしているのが現状だと思います。
ここで必要なのは、特別の教育の場が必要な子どもたちが居るし、制度の改革の過程では、軟着陸のために、旧制度の保持も必要だという事は述べたうえで、次のような改革の本質を語ることが必要だと思います。
すなわち、従来の特殊教育は、病気だから特別な教育を特別な場で行うという保護的な発想の教育でした。障害児の長年の運動などにより、障害の一面は社会の無理解が形成しているという反省から、障害者の人権を尊重し、障害児と障害のない子がともに学ぶなかで、一人一人のニーズに応じた教育を行うという、インクルーシブ教育へと大きく舵を切ったのです。
そのような、様々な情報が錯綜する中で、ちょっとでも発達障害を疑うとその症状の面に大きく反応して、特別な教育の場が必要と誤解?し、通常の学級から移動する事例が、平成14年から約10年で全児童生徒の1%という多数にあがり、特別支援学級は2倍以上、特別支援学校も1.4倍以上になりました。最近のデータを分析していませんが、その後10年で、乖離の傾向は増強され、現場は混乱しています。それらの子どもの症状の面より、他の子どもたちとの共通の面を強調するのがインクルーシブ教育で、もちろん、ニーズに応じた支援は工夫しますが、基本は同じ教育の場でインクルーシブに教育を行うというのがインクルーシブ教育の主旨です。
このように、平成11年の「学習障害児等の指導について(報告)」以来のボタンの掛け違えが、長く悪い影響の尾を引いていると考えられます。
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たまたまでしょうが、「中教審 義務教育の在り方ワーキンググループ(第5回)議事録 令和5年2月1日(以下、義務教育ワーキング)」も文科省の情報として出されています。同ワーキンググループの以下の意見は、義務教育全体の在り方をめぐる議論です。当然、「通常の学級に在籍する障害のある児童生徒」も含まれていると思いますので、それを先に読んで頂き、そのあとに検討会議の報告を基にした通知についての紹介と批判を読んで頂けたらと思います。
ちなみに、上記の報告書と通知は以下のURLからご覧になれます。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/181/toushin/mext_00004.html
<義務教育ワーキングの議論(ごく一部を抜粋)>
〇前田教育制度改革室長の「論点整理の素案」資料説明:子供は誰もが特別な存在であり、何らかのニーズを有している、このことを当たり前のこととして捉えていくべき。それから、特別なニーズに応じた学びや配慮に対する負の印象をなくすための取組が必要である。
〇戸ヶ崎委員:大きな柱2の(2)の多様性と包摂性【筆者注:インクルージョン】に基づく学校文化の醸成ということについて、1点だけ申し上げておきたいと思います。これは前にもちょっと話したことと一部重複することがあるんですけれども、多様性というのは、子供たちをあくまでも集団として見るのではなくて、やっぱり個で見ることの最たるものというふうに考えています。また、包摂性というのは、多様な子供たちを受け入れて認めて育むということにあるわけで、ここで課題になるのが、そこの限界というか、どこまでが限界なのかということが問題になって、対応できる教師の人数の限界とか、教室という場所の限界とか、保護者、またほかの子供の理解の限界とか、様々な限界ということがあるわけですけれども、どうも実際学校現場ではできないということを探しがちになってしまっている。どうしたら今の現状の中でもできるのかと考える、そういう文化というのが醸成されれば、おのずからその限界点というのはどんどん下がっていくのではないかなというふうに思っています。
〇貞広委員:今、学びの困難性を抱える子供たち、学校から離れていってしまう子供たち、学校の中にいるんだけれども、実はすごく居づらい思いをしている子供たちも含めて、何らかの学びの困難性を抱えている子供たちへの対応を、その子たちに責を帰すような個人モデル的な考え方ではなくて、学校のありようや社会こそがそういう障壁をつくっていて、それを取り除くのは学校や社会の責務であるという、社会モデル的なトーンを全体に貫いていただきたいと思っています。
〇奈須主査:それから、後段の困難性ということを、個人モデルではなくてというのは、これも国際的な動向ですけれども、ユニバーサルデザイン・フォー・ラーニングなんて言い方をアメリカでもして、うまく学べない子供がいたら、それはその子に障害があるんじゃなくてカリキュラムや制度の側に障害があるんだと、少なくとも改善の余地があるんだと考えようと、これも国際的な動向かと思いますし、日本もようやくそこを少し標準的な考えにするというところに動きつつあるのかなと。期待したいし、また、動かしていかなきゃいけないなと思いました。
<検討会議を受けた通知の要点>
通知では、以下の方策をとるように学校へ周知させることを教育委員会等へ求めています。(通知に番号はありませんが、説明の都合で番号をつけました)
1 校長のリーダーシップの下、特別な教育的支援を必要とする児童生徒の実態を適切に把握し、適切な指導や必要な支援を組織的に行うための校内支援体制を充実させること
2 児童生徒が慣れた環境で安心して通級による指導を受けられるように自校通級や巡回指導をはじめとする通級による指導を充実させること
3 通級による指導を担当する教師等の専門性の向上を図ること
4 高等学校における通級による指導の実施体制を充実させること
5 特別支援教育に関する専門的な知見や経験等を有する特別支援学校における小中高等学校等への指導助言等のセンター的機能を充実させること
6 よりインクルーシブで多様な教育的ニーズに柔軟に対応するため、特別支援学校を含めた2校以上の学校を一体的に運営するインクルーシブな学校運営モデルを創設すること
<具体策についてコメント>
1については、当然のことを述べています。通常学級でのアプローチを最初に書いている点を評価する方もいますが、それほどの積極性は感じません。例えば、平成29年の「発達障害を含む障害のある幼児児童生徒に対する教育支援体制整備ガイドライン(以下、新ガイドライン)」について十分触れていないのは残念です。また、「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」(令和4年 12 月 13 日公表)が正しいと仮定して、現状では発達障害児等を「特別支援教育に関する委員会(校内委員会)」が十分把握していない、というスタンスで検討されています。筆者の意見に過ぎませんが、調査結果の8.8%が多すぎるのであって、現場では十分に注意して発達障害等の疑いのある子どもをピックアップしている、あるいは、し過ぎていると思います。この検討委員会の論調だと、今後さらに障害児というレッテルを大幅に貼っていく事になるのが危惧されます。それは大変なことです。また、その方策にしても、個別に特別支援教育の方法でアプローチする発想ですので、新ガイドラインで示された学級集団を中心としたアプローチから明らかに後退しています。
2で通級が挙げられている点でも、障害児として個別に教えるという特別支援教育の発想が強いことを示しています。巡回による通級という、一部の都県で実践されている、通常学級へ通級担当者が巡回して担任へ支援するとともに、その場で通級の指導を実施したり、子どもに通級にも来てもらったりするという方式を全国展開しようとしている点が新味でしょう。使い方によっては、有効になる可能性があります。
通級に力を入れると、困っている子どもの助けになり状態が良くなるので、通常学級における発達障害などの子どもの率は低くなるのではないかと仮定されますが、実際は、逆でした。通級全体については、近年の通級による指導の急増が、通常学級における障害児の急増(昨年12月に示された調査結果)に対して効果が無かったと推定されるので、通級を増やす政策(昨年4月27日の初中局長通知)が良い政策かどうか?インクルージョンの方向に資するのかどうか?疑問があります。
3,4も通級を強める策ですので、今回の検討会議の主な提言は、通級を強めよと読み取れます。
5は現行の、特別支援学校のセンター的機能の強化であり、通常の学級で通常の教育的アプローチよりも、特別支援教育のアプロ―チが方策の中心であることを示しています。
6は新味のある提言ですが、通常の学級における学校教育法施行規則22条の3項に該当する子どもたちについて、通常の学校と特別支援学校を同一敷地で一体的に運営して、そこで交流及び共同学習を行うというアイデアです。下手をすると特別支援学校の指導を通常学校に籍がある子どもに実施するというアイデアに見えてしまいます。いくつか、よい実践がある様子ですので、すべてがダメだとは思いませんが、発想としてはインクルージョンではないといえるでしょう。
それよりも、多くの学校で実際に行われている、通常の学級と特別支援学級の共同学習から良い実践を選び出して、その実践ができるような校内体制や考え方について検討する方が、通常学級におけるインクルージョンに役立つ情報が得られると思います。
書かれていないことをいくつか挙げると、この報告書がインクルーシブ教育への展開を欠いていることが明らかになります。
? 通常の学級の定員を大幅に減らして、インクルージョンを行う制度の創設は?
? 複数担任制の試行は?
? 学習指導要領の弾力的な運用は?
? ユニバーサルデザイン教育は?
? 教育全体のニーズ教育への転換は?
<義務教育ワーキングの方向と検討会議の方向>
検討会議の議論の方向は、中教審 義務教育ワーキングに述べられている方向性とはかなり異なります。義務教育ワーキングの以下の意見は、義務教育全体の在り方をめぐる議論ですが、これらの議論が果たして、検討会議で練られたのでしょうか。
義務教育ワーキング議事録の「どうも実際学校現場ではできないということを探しがちになってしまっている。」ということが、検討委員会の議論のベースだったのではないか。それよりも、義務教育全体を考えた時に、「その子に障害があるんじゃなくてカリキュラムや制度の側に障害があるんだと、少なくとも改善の余地があるんだと考えよう」という国際動向の方向へ改革する方が良いと思います。今回の検討会議で、少数の委員からは、インクルージョンの方向への意見が出ていたし、国連障害者権利委員会の総括所見への意見の中にも大事な発言があるのですが、それらは全く生かされていない様に思えました。
このような姿勢では、国連障害者権利委員会の総括所見の真意をくみ取ることも困難だと思います。筆者は、失われた40年と申しますか、長年にわたって日本の障害児を含む教育は迷走していると思っています。少なくとも1980年台の学習障害キャンペーン、1990年台のサラマンカ声明へ至る経過、2000年台の特別支援教育をめぐる論議の細かな経過、障害者権利条約を批准する準備過程で文科省がどのような主張をしてきたかという経過、そして「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)平成24年」における論理の点検など、もう一度点検しなおさないと、日本の障害児を含む教育の道筋をつけることが困難なのではないかと思いました。
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個人(病理)モデルと社会モデル
3月9日(木)(14時〜16時)「通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議」の最終回が開催されます。
予定では、同検討会議の報告書の検討がなされて、その後、報告書が公表されることになりそうです。
2月15日の第8回会議で素案が検討されましたが、要約すると以下のような議論に映りました。
<出発点>検討会議の趣旨を読むと、まず、特別支援教育の対象児童生徒の増加、発達障害児がすべての通常学級に在籍し、さらに学校教育法施行令第22条の3の障害の程度の子が通常学級で学んでいると指摘している。第8回の素案には、「インクルーシブ教育システムの理念の更なる実現に向けて、通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への 支援の実施状況、成果と課題について把握した上で、より効果的な支援施策の在り方 について外部有識者の協力を得て検討を行う。」と述べられている。
<施策の主なもの>具体的には、通級の強化、特別支援教育支援員の拡充、「共生教育推進学校」(通常の学校、例えば高等学校+特別支援学校)の創設とその実践からの知見を広くし共有、といった施策が述べられている。
これらの施策は、以下の「中教審 義務教育の在り方ワーキンググループ(第5回)議事録 令和5年2月1日(水曜日)」に述べられている方向性とかなり異なり、これで大丈夫なのかと思ってしまった。9日の論議が充実することを切に願っている。
前田教育制度改革室長の「論点整理の素案」資料説明:子供は誰もが特別な存在であり、何らかのニーズを有している、このことを当たり前のこととして捉えていくべき。それから、特別なニーズに応じた学びや配慮に対する負の印象をなくすための取組が必要である。
戸ヶ崎委員:大きな柱2の(2)の多様性と包摂性に基づく学校文化の醸成ということについて、1点だけ申し上げておきたいと思います。これは前にもちょっと話したことと一部重複することがあるんですけれども、多様性というのは、子供たちをあくまでも集団として見るのではなくて、やっぱり個で見ることの最たるものというふうに考えています。また、包摂性というのは、多様な子供たちを受け入れて認めて育むということにあるわけで、ここで課題になるのが、そこの限界というか、どこまでが限界なのかということが問題になって、対応できる教師の人数の限界とか、教室という場所の限界とか、保護者、またほかの子供の理解の限界とか、様々な限界ということがあるわけですけれども、どうも実際学校現場ではできないということを探しがちになってしまっている。どうしたら今の現状の中でもできるのかと考える、そういう文化というのが醸成されれば、おのずからその限界点というのはどんどん下がっていくのではないかなというふうに思っています。
貞広委員:今、学びの困難性を抱える子供たち、学校から離れていってしまう子供たち、学校の中にいるんだけれども、実はすごく居づらい思いをしている子供たちも含めて、何らかの学びの困難性を抱えている子供たちへの対応を、その子たちに責を帰すような個人モデル的な考え方ではなくて、学校のありようや社会こそがそういう障壁をつくっていて、それを取り除くのは学校や社会の責務であるという、社会モデル的なトーンを全体に貫いていただきたいと思っています。
奈須主査:それから、後段の困難性ということを、個人モデルではなくてというのは、これも国際的な動向ですけれども、ユニバーサルデザイン・フォー・ラーニングなんて言い方をアメリカでもして、うまく学べない子供がいたら、それはその子に障害があるんじゃなくてカリキュラムや制度の側に障害があるんだと、少なくとも改善の余地があるんだと考えようと、これも国際的な動向かと思いますし、日本もようやくそこを少し標準的な考えにするというところに動きつつあるのかなと。期待したいし、また、動かしていかなきゃいけないなと思いました。
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この報告書案は全体で25ページ程度なので、1〜2時間程度で読むことができる。かなり大事な報告書なので、できるだけ多くの方に目を通し、できれば文部科学省へ意見を送って頂きたいと思う。
私は、この報告書案を読んで、最初に受けた印象は、検討会議が漂流したという感じでした。
令和4年5月18日の初等中等教育局長決定と書かれている検討会議の趣旨を読むと、まず、特別支援教育の対象児童生徒の増加、発達障害児がすべての通常学級に在籍し、さらに学校教育法施行令第22条の3の障害の程度の子が通常学級で学んでいると指摘している。
文科省は、これまで、2017年度に通級担当教師の基礎定数化、2018年度に高校の通級制度などで通級の制度を整備し、通常学級でも、合理的配慮の提供や特別支援教育支援員など施策を打ってきたが、「インクルーシブ教育システムの理念の更なる実現に向けて、通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への 支援の実施状況、成果と課題について把握した上で、より効果的な支援施策の在り方 について外部有識者の協力を得て検討を行う。」と述べられている。
つまり、国連の障害者人権委員会の審査を控えている状況ではあったが、推測では「インクルーシブ教育システム」は権利条約に則って構築しているので大丈夫という前提で、弱点である通常学級をテコ入れする方策を検討しようと企画された審議会と推察される。
第一回会議での検討事項をみると、通常学級に多くの障害児が在籍し、増加しつつあることがまず示されている。「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」( 平成24年7月)については、合理的配慮の提供と、その基礎となる環境整備の充実の重要性について提言されているとまとめられている。
「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について(通知)(令和4年4月27日)についても触れられており、恐らくは、この通知を補強する目的、つまり「通級による指導の更なる活用」が、当審議会の直接的な設立目的だったと推察される。
また、「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」結果の公表は2022年12月だったが、恐らくは小中学校で通常学級に8.8%の発達障害疑いの子どもがいることを文科省は把握していたと推定される。それに向けて、施策を用意しているという姿勢を示す必要もあっものと推察される。
同資料には、「第2期政務官タスクフォース」についても紹介されている。その検討事項は、(1)高等学校段階における障害のある生徒への支援、(2)病気療養児への教育支援、(3)特別支援学校の施設整備であったが、その第7回(令和4年5月20日)において「・群馬県教育委員会(通級の効果的・効率的な実施形態)」というヒアリングも行われており、巡回型の通級について語られたものと推察される。
新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議(令和元年9月6日設置、宮崎英憲主査)のまとめも紹介されている。
同資料の3-2は通級による指導と章立てされており、3-3は教師の専門性の向上で「特別支援教育を担う教師の養成の在り方等に関する検討会議(令和3年10月25日設置、加治佐哲也座長)」が示されている。そこでは、教員養成段階でコアカリキュラムを作成し、採用後10年以内に特別支援教育を複数年経験することとされ、管理職の任用にあたり、特別支援教育の経験を考慮し、学校経営方針等に特別支援教育に関する目標を設定し、校内体制を整備すると示された。
なお、個人的意見としては、教師の養成の在り方等に関する検討会議の提案は無理筋であり、現行免許法の改定など基本的な検討ではなく、小手先の実現可能性の薄い提言をしているように思える。
通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議(以下、「本検討会議」と略記する)の主な検討事項(例)では、
1.通級による指導の更なる充実に向けた取組等の在り方
2.学校教育法施行令第22条の3の障害の程度に該当する児童生徒の支援の在り方
があげられ、2の中に、「○国連障害者権利委員会による審査状況や結果を踏まえた、国における更なる支援方策等について」が挙げられている。国連障害者権利委員会の審査を意識しているが、軽微な対応で済むと想定し、第3の柱にはしていなかった可能性がある。
第3回会議は国連の障害者権利委員会の勧告が出された日、すなわち令和4年9月9日に開催され、さすがに日本政府へ勧告(総括所見)は議題にはなっていない。このことも、権利委員会の総括所見をあまり重視せずに本検討会議の企画をしていたことが示唆される。第4回令和4年10月18日の会議資料に「障害者権利条約対日審査について」という資料が提出されているが、文科省のものは「(第24条・教育部分)抜粋(仮訳)」と書かれていたが、抜粋というより、ほぼそのままの訳で、若干誤訳もあるので、外務省仮訳[1]から抜粋した方が良かっただろう。
また、第24条教育だけを挙げているが、第8条意識の向上、第20条個人の移動を容易にすること、第26条ハビリテーションとリハビリテーションなども関連するし、権利条約の1〜5条は今回の指摘で教育と直接絡めて指摘されていないが、基本的により重視すべき内容と言えよう。
続いて、9月13日の永岡文部科学大臣会見録と4月27日の初中局長通知についての説明が述べられている。
本検討会議の議論では、障害者権利委員会の総括所見に関する十分な議論の時間がなく、文書で意見を出すことになり、第5回10月18日の資料に委員からの意見として、野口晃菜委員、氏間委員の意見書が掲載されている。その会の議事録は無く、第6回の資料に障害者権利条約対日審査についての「意見交換のみ」と注記された記録(後述)がある。
同じ第5回の資料に意見をまとめた資料(資料4)の中に、「ICD-11の英文において知的障害、自閉症、自閉スペクトラム症、ADHD、LD等が同等の位置で論じられていることを踏まえ、教育においても同等に見ていく必要がある。(第1回・市川宏伸委員)」という記載があり、驚いた。権利条約委員会の総括所見で「病理モデル」に基づいている点が良くないと指摘されているにも関わらず、知的障害までも病理モデルで考えることを勧めるセンスは大いに疑問である。また、「〇高等学校と特別支援学校が同じ敷地内にある阪神昆陽高等学校と阪神昆陽特別支援学校において、交流及び共同学習の充実を通して、共生社会の実現を目指した取組を行っている。昆陽高校の取組は、今後の議論にあたり、重要な鍵になるのではないか。(第4回・荒瀬座長)」という意見などから、(特別支援学校と通常の学校を同一敷地に設置していく)共生教育推進学校のアイデアが出てきたことをうかがわせている。
第6回は12月16日に開催され、その資料の中に、障害者権利条約対日審査について意見交換のみの記録がある。
(2)障害者権利条約対日審査について ※意見交換のみ。
○ インクルーシブ教育という文言について、改めて考える時期ではないか。特別支援学校という箱は必要なのだろうか。
○ 勧告は、障害のある人とない人を分けた環境で教育することが、社会の分離につながるのではないかという考えのもと、教育や目的をどうしていくのかについて再考を促すものであったと考える。障害のない児童生徒も特別支援学校や特別支援学級に行く、障害のある子も通常の学級に行くというような相互の重なり合いが生まれない限り、本当の意味でのインクルーシブにはならないのではないか。
○ インクルーシブ教育の目指す理想の形は何かとずっと感じてきた。皆一緒に生活する中で、一緒に過ごす時間を学校教育の中で確保しつつ、個に応じた指導も行い、障害のある人もない人も互いに理解し合うという将来の社会の縮図のような学校であってほしいと思う。インクルーシブ教育とは、皆が学校の中でもできるだけ一緒に過ごす理想型を求めていく事だと思う。基本的に分離している状況を前提とする限りは見えない壁を取っ払う事は難しいのではないか。
○ 目指すべき理想をはっきりさせていくことが重要。また、それを実現していくにあたり、教員の専門性をどう考え担保していくかという観点が重要。特別支援学校教諭免許状だけでは不十分であり、通級指導教室の専門の免許があってしかるべき。
○ 教員養成の段階で、1単位のみならず、特別支援教育についてしっかり学ばせるべき。特別支援教育について学んだ教員が、特別支援学級や通級指導教室のみならず通常の学級も担当していくことが重要。また、地域での研修機会の担保も力を入れるべき。
○ 特別支援教室構想は、全ての児童生徒が通常の学級に在籍することが大前提になり、それぞれのニーズに応じて、学びの場や学びの方法を考え、必要な人が配置されていくというもので、とても良いと思っていた。特別支援学校は、子供が学ぶ場として必要だが、障害者権利条約対日審査の勧告を受け、特別支援教室構想を再検討する事が必要ではないか。
○ 全ての学校に通級指導教室があるのが理想だと考える一方、なり手がいないという問題があり、教員の志願者の減少も避けては通れない問題。専門性の向上は重要だが、個に応じた指導をするために不断の研究と修養が必要なことは、どの免許も変わりない。特別支援学級等に経験の浅い教員が配置され、採用形態も臨時的任用や再任用が約半分を占める中で、現場で学びながら育成する事が必須。
○ 採用後10年以内に特別支援教育を担当させることについては、特別支援教育を担当できるセンスを持ったたくさんの教員が、特別支援教育に積極的に関われるいい機会になると思う。
○ 特別支援教育に限らず、義務教育などもっと大きな視点でインクルーシブ教育について話し合うべき。
○ 今後のインクルーシブ教育のビジョンを改めて明確にし、義務教育全体としてインクルーシブをどう捉えて行くのかについての合意形成が重要。その上で、特別支援教室構想を改めて検討し、原則通常の学級に在籍しつつ必要に応じて本人や保護者が別の場を選択できる権利を持つ制度をどう整えていくか、今後具体的に検討する事が必要。
○ 教員の専門性の向上の観点で、若いうちに特別支援教育の経験をする有用性はあるかもしれないが、定数には数えず研修の位置づけで配置するなどの配慮が必要。また、特別支援学校や特別支援学級、通級指導教室は、通常の学級の教員を支える場所にもなるので、それらの担当教員の専門性を担保していく事が大切。
○ インクルーシブな社会は、障害のある人をどう社会に適応させるかではなく、社会が障害のある人を受け入れられるように変わっていくことが究極の目的であるため、小中学校段階のみならず幼保小中高大まで一貫して縦串を刺した広い視野で考えるべき。特に小学校と幼保との連携についても、今後検討すべき。
○ インクルーシブな教育を受ける権利という視点と、障害特性に応じた専門的な教育を受ける権利という視点を絡ませながら、教員の資質向上を如何に進めていくかが大切。
これらの貴重な意見が紹介だけされ、この議論をまとめていく事がスポイルされているのはなぜだろう。どこかで、この議論を十分に行わないと、日本の障害児教育はガラパゴス化を強めていくのではなかろうか。
第6回では、「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」有識者会議座長・宮?委員から、以下の補足説明があった。
○ 本調査は、学習面や行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒の割合の推定であり、いわゆる発達障害や知的障害のある児童生徒の割合を推定するものではない。前回調査と比較し、調査対象に高等学校が加わり、調査項目も小学校と中学校・高等学校とで異なるため、調査結果の単純比較は困難。また、多様な要因が想定されるため、学習面又は行動面で著しい困難を示す児童生徒が増加した具体的理由を特定する事も困難。
この調査に関する意見交換は【資料1】「第6回会議議事要旨」をご覧いただきたい。かなり問題のある調査だが、その批判は後日に譲ることにする。
第7回は令和5年1月26日に開催されている。ここでは検討会議の報告書素案が検討されている。なお、【資料2】諸外国に対する障害者権利条約第24条に関する総括所見の内容についてという資料も出されている。恐らくは、インクルージョンを実施しないのではなく、ドイツ・フランス・韓国など分離教育も行われているのだ。日本だけではないのだという意図があったのではないかと推察される。
議論では、「共生教育推進学校」について慎重な意見が散見された。
以上、第8回令和5年2月15日までの議論を早足で眺めてきたが、第8回の傍聴した論議では、事務局が報告書の修文に努めたことへの評価はなされたが、なお、十分に議論が煮詰まったという印象より、これまでなされてきた議論が焼き直され、議論が深まっていない印象であった。
修文の上、各委員に送って意見を徴して、それをまとめて、次回3月にまとめるという方針が示されたが、どうなっていくか予断を許さないものと思われた。
[1] (https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100448722.txt)
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以下の記事を特別支援教育のMLに投稿しました。コピペで済みませんが、再掲します。
「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」有識者会議(第2回)が、令和4年 10 月 25 日(火)に、WEB会議で開催され、その議事録が先日公開されました。
議事1は調査の実施状況で、今回高校生も対象となり、中高の生徒向けに調査項目の修正があったことと、かなり高い回収率で実施された事が報告されました。議事2は「調査結果及び検討事項について」なのですが、これは非公開だったそうで、議事要旨でも書かれていません。
問題点を指摘する記事(https://toyokeizai.net/articles/-/541320)が東洋経済の井艸記者の手で書かれていますが、その批判はまだ生ぬるいと思います。私は、この調査の問題点を平成24年の報告をもとに指摘し(https://mon.psychoreha.org/DEV/JASE2013.pdf)、再調査に反対してきましたが、問題点を抱えたまま実施されてしまいました。
公表された議事要旨で、宮?座長は「なお、この調査に関しましては、様々マスコミ等も含めて、関心が非常に高まっていると。私も幾つかウェブで見せていただいたんですが、シリーズで、これについてのいろいろな分析をしたようなものまで出ているというのを知りました。したがいまして、今日の審議は非常に重要なことになるかと思っております。」と発言されています。
第2回の調査は、報告書(https://www.mext.go.jp/content/20221024-mext-tokubetu01-000025379_07.pdf)の考察が、「『今回の調査結果から考えられること』協力者会議座長 大南英明」と記されており、考察がまともにできなくて、座長の大南先生に押しつけられたような印象を得ています。今回も宮崎先生に押しつけられる恐れはあるのではと危惧しています。
この調査はいろいろ問題がありますが、何より分かりやすいのは、結果が現場の感覚と逆である点です。学習上の困難は、先生方の実感としては小学校で学年が進むと共に増えるにもかかわらず、この調査では徐々に減少してくるのです。この点について、大南先生の解説ではいくつかの可能性を述べていらっしゃるのですが、私は痛々しく感じながら読みました。大南先生は特別支援教育の発展に努力され、とても良い先生だっただけに残念でなりません。小学校の学習上の困難について、今回の調査でも問題を抱えたまま実施されています。
他にも、メンバーの問題も含めて、いろいろ問題のある調査なので、今後の推移が注目されます。特に統計の専門家がどのように役割を果たすかに注目しています。
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○自立活動の理念やそれに基づく指導の考え方については、養成段階でしっかりと指導する必要があることから、障害種ごとに配慮事項は講義するとしても、日本特殊教育学会WGの報告書に記載されているように、第一欄に自立活動を独立の科目として設定し、第一欄で共通に講義すべき必要がある。
今回の「特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム(案)」については、1ページに記載しているとおり、学生の過度の負担になることなどから現行の教育職員免許法施行規則第7条に規定する各欄の各科目や総単位数及び備考各号の事項を踏まえて作成しています。なお、御指摘の内容については、第1欄「特別支援教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」の(1−2)の「特別支援教育に関する制度的事項」に自立活動に関する教育課程の取扱いの基礎的な考え方を理解している旨の内容を明記しています。 また、大学に通知する際に説明する予定にしています。
受付番号: 185001235000000035 <自立活動を第1欄で>
新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議(第1回)議事要旨 (令和元年9月25日)の中に次のような発言がある。
「自立活動の専門性について今後議論していく際に,各障害に焦点を当てた議論も重要だとは思うが,それらが先行することについては懸念を抱くところ。障害種に共通した,特別支援教育として共通して必要な専門性や,子供の状態をどのようなまなざしから理解し,必要な指導を具体化していくか。これらをしっかりと整理して,通常の学校の先生方にも分かりやすく示していくことが大事な時期と考える。そのためには,自立活動の理念やそれに基づく指導の考え方について,養成段階でしっかりと指導すること,免許を取る方に学んでいただくことが大事。一方で,特別支援学校の教員の免許取得に関わる免許法の中では,自立活動について扱うことが規定されていない。このため,現在,特別支援学校の免許を出す151大学のうち,シラバスをインターネットで確認できる143大学の中で,自立活動に関して独立した科目を設置している大学は13大学。これを除いた130の大学の中で,特別支援教育基礎論と,障害種に分かれる前の共通科目の中で自立活動を扱っている大学,すなわちシラバスに明記されている大学が33大学という現状である。異なる形での扱いはあるかもしれないが,今後,特別支援教員の専門性の中核をなす自立活動について,養成段階でどのように扱っていく。この場でもまた議論の機会があればと思う。」(引用終わり)
これと同じような議論は、日本特殊教育学会WGの報告書にも書かれており、第一欄に自立活動を独立の科目として設定されたいという事である。
ご存知のように、自立活動の前身である養護・訓練は、当初、学校種別に述べてあったが、途中から障害種を越えて、共通のものとして今日に至っている。今回、コアカリキュラムの内容を表にして比較したが、教育課程の部分については特に同じ記載の繰り返しになっている。障害種によって諸機能の状態は異なるが、人として成長・発達する方向については共通性の方が多いのである。
特に、諸機能の基礎を教育する自立活動においては、共通性の方にウェイトが置かれている。したがって、障害種ごとに配慮事項は講義するとしても、本体の自立活動については第一欄で共通に講義すべきと考えられる。
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教育職員免許法施行規則の一部改正での自立活動のとりあつかいについて
七条三項に、「教育課程等に関する科目は、各特別支援教育領域に関する自立活動に関する内容を含むものとする。」と明記したことは一見良いが、特殊教育学会のWGなどが指摘しているように、教育課程等に関する科目ではなく、【第1欄】特別支援教育の基礎理論に関する科目に自立活動を位置づけることが必要である。周知のように、自立活動は学校の障害種にかかわらず、全体的に示した教育内容であり、各特別支援教育領域という個別の取り扱いでは有効性を減ずる結果になることが予想されるため。
文科省のまとめ
○ 第7条第1項表の備考第3号に「教育課程等に関する科目は、各特別支援教育領域に関する自立活動に関する内容を含むものとする。」と明記することは良いが、自立活動は学校の障害種にかかわらず全体的に示される教育内容であり、教育課程等に関する科目ではなく、【第1欄】特別支援教育の基礎理論に関する科目に自立活動を位置づけることが必要である。
文科省の回答
教育職員免許法及び同施行規則に基づき全国すべての大学の教職課程で共通的に修得すべき資質能力をより詳細に示している「特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム」のうち、【第1欄】特別支援教育の基礎理論に関する科目(特別支援教育に関する社会的、制度的又は経営的事項)において、自立活動を含む教育課程について理解することを全体目標の一つとして掲げています。また、それに関連させ、【第2欄】の各特別支援教育領域において、自立活動等の具体的な指導法について位置付けたものです。
論点ずらし
パブコメの趣旨は、【第1欄】特別支援教育の基礎理論に関する科目(特別支援教育に関する社会的、制度的又は経営的事項)の一部として講義せよという主張では無い。文科省の過去の審議会や日本特殊教育学会の提言においても、自立活動を第1欄に独立の科目として講義せよという主張である。それを、特別支援教育の基礎理論の「目標の一つ」と書いたからと言って回答したことにはならない。なぜ、独立の科目として設定しないのか、その理由を回答すべきである。
余談だが、文科省のまとめでは「・・・・明記することは良いが」と引用されているが、私は「一見良いが」と書いたのであって、全く違う意味になっている。
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教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリック・コメント(意見公募手続)へ、私が出したパブコメの一部を公表することにしました。
このパブリックコメント(意見公募手続)の結果、文科省は以下の回答をしています。
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000239044
この回答のあと、コアカリキュラムはほぼ修正なく、公開されました。
提出日時: 2022年7月1日23時55分
提出意見:
特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関する意見
<発達障害の発想から脱却すべき>
発達障害の分野における特性の重視は、障害の鑑別に資する症状の重視であり、教育上は役に立たないのである。例えば、ADHDの不注意、多動性、衝動性が特性として挙げられているが、それらを直接教育上の活動として位置付けることは困難である。注意深くすることも、行動が落ち着くのも、衝動的でなく思慮深くなるのも、例えば多動を押さえつけることでは実現しない。心身の多様な活動を少しづつ成長発達させる関わりを通じて、全般的な発達の結果、落ち着いたりしてくるのである。
現在、通常の学級に在籍する発達障害児は6.3%だったものが、6.5%になったと報告され、最近もその調査が行われているが、調査の方法が杜撰で、妥当性に欠けるものと推察される。実際に、注意深く対象児を発見し対処している東京都などで特別支援教育の対象としている率よりも、調査結果が多くなっているが、(調査票の問題はまだ顕在化していないだけで、)精査すると問題がかなりある。
上記の調査はそろそろ終わりにして、現場が一生懸命取り組んでいる率をもとに、政策を組みなおす必要がある。このまま拡大路線を突き進むと、特別支援学校も特別支援学級も拡大につぐ拡大をし、インクルーシブ教育の実践は乏しくなっていくことが火を見るよりも明らかである。
その政策を鎮静化し、インクルーシブ教育を実りあるものにするためにも、コアカリキュラムで発達障害を強調している部分、発達障害の発想で障害別に書き込みすぎている部分を改定し、少なくともトーンを抑える必要があると思う。
※ 最後のコメントは23:55分と時間切れすれすれで、文章も乱れていますが、書いておかなければと投稿しました。通常の学級における、いわゆる発達障害児の率は、私からみると杜撰な調査(https://mon.psychoreha.org/DEV/JASE2013.pdf)ですが、社会的影響は非常に大きく、そろそろ止めた方が良いと思うのですが、今年の冬には公表されると聞いています。
教室で何か問題があると、あの子は発達障害だとレッテルを貼り、通常の学級から排斥することは、インクルージョンの真逆のことです。曖昧な発達障害レッテルの問題は、現在の教育現場を混乱に陥れている様に思います。
パブリックコメントにおける私の投稿は以上です。今後、文科省のまとめと回答でどのように取り扱われているか、検証を進める必要がありそうです。
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教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリック・コメント(意見公募手続)へ、私が出したパブコメの一部を公表することにしました。
このパブリックコメント(意見公募手続)の結果、文科省は以下の回答をしています。
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000239044
この回答のあと、コアカリキュラムはほぼ修正なく、公開されました。
受付番号: 185001235000000036 <情緒障害、言語障害を入れよ>
提出日時: 2022年7月1日23時35分
提出意見:
特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関する意見
<コアカリキュラムで取り上げる障害種が十分ではない>
5種の特別支援学校の対象の障害種、発達障害(LD,ADHD,自閉症のみ)、重複障害だけがコアカリキュラムでは触れられている。特別支援学級の対象でもある、言語障害(吃音を含む)、情緒障害(不登校や選択性緘黙等)が抜けている。これらの障害種について言及がないのは大いに欠点と言わざるを得ない。
なお、吃音と選択性緘黙は、文科省の通知でも発達障害者に含まれると明記しているにも関わらず、発達障害のところにも触れられていない。
例えば、言語障害を教えることは、言語学という人の本質を検討した学問やコミュニケーション理論、発達心理学を学ぶことにつながり、他の障害において言語指導をしたり、コミュニケーション指導を行う際にも基本となる事項を学ぶことになる。そのように、教育における分類は大分類であり、数多くの障害が含まれている。それだけに特別支援教育の対象について、大分類の範囲は確実に教えておく必要がある。
極力紙幅を取りたくないなら、障害別に繰り返し、ほぼ同じ内容を書いている部分をまとめた形式にすることで、相当数紙幅を狭めることが出来るだろう。
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教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリック・コメント(意見公募手続)へ、私が出したパブコメの一部を公表することにしました。
このパブリックコメント(意見公募手続)の結果、文科省は以下の回答をしています。
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000239044
コアカリキュラムはほぼ修正なく、公開されました。
受付番号: 185001235000000035 <自立活動を第1欄で>
提出日時: 2022年7月1日23時8分
提出意見:
特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関する意見
<自立活動を第1欄で取り上げる必要がある>
新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議(第1回)議事要旨 (令和元年9月25日)の中に次のような発言がある。
「自立活動の専門性について今後議論していく際に,各障害に焦点を当てた議論も重要だとは思うが,それらが先行することについては懸念を抱くところ。障害種に共通した,特別支援教育として共通して必要な専門性や,子供の状態をどのようなまなざしから理解し,必要な指導を具体化していくか。これらをしっかりと整理して,通常の学校の先生方にも分かりやすく示していくことが大事な時期と考える。そのためには,自立活動の理念やそれに基づく指導の考え方について,養成段階でしっかりと指導すること,免許を取る方に学んでいただくことが大事。一方で,特別支援学校の教員の免許取得に関わる免許法の中では,自立活動について扱うことが規定されていない。このため,現在,特別支援学校の免許を出す151大学のうち,シラバスをインターネットで確認できる143大学の中で,自立活動に関して独立した科目を設置している大学は13大学。これを除いた130の大学の中で,特別支援教育基礎論と,障害種に分かれる前の共通科目の中で自立活動を扱っている大学,すなわちシラバスに明記されている大学が33大学という現状である。異なる形での扱いはあるかもしれないが,今後,特別支援教員の専門性の中核をなす自立活動について,養成段階でどのように扱っていく。この場でもまた議論の機会があればと思う。」(引用終わり)
これと同じような議論は、日本特殊教育学会WGの報告書にも書かれており、第一欄に自立活動を独立の科目として設定されたいという事である。
ご存知のように、自立活動の前身である養護・訓練は、当初、学校種別に述べてあったが、途中から障害種を越えて、共通のものとして今日に至っている。今回、コアカリキュラムの内容を表にして比較したが、教育課程の部分については特に同じ記載の繰り返しになっている。障害種によって諸機能の状態は異なるが、人として成長・発達する方向については共通性の方が多いのである。
特に、諸機能の基礎を教育する自立活動においては、共通性の方にウェイトが置かれている。したがって、障害種ごとに配慮事項は講義するとしても、本体の自立活動については第一欄で共通に講義すべきと考えられる。
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教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリック・コメント(意見公募手続)が2022年6月2日から7月1日にかけて行われました。パブリックコメントの内容を公表することは、行政手続法39条等で禁止されていませんので、以下、何回かにわけて、私が出したパブコメの一部を公表することにしました。
「教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリックコメント(意見公募手続)の結果について」という文書が公表され、77件のコメントが寄せられたとのことですが要約して回答しています。
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000239044 コアカリキュラムはほぼ修正なく、公開されました。
パブコメの書式のままでは読みにくいので、不要な部分は削除して掲載いたします。
受付番号: 185001235000000034 <指導方法や指導技法に触れよ> 提出日時: 2022年7月1日22時53分
提出意見:
特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案について
<指導方法や指導技法に触れないことは大きな欠点>
背景の論議と、前提になった特別支援教育を担う教師の養成の在り方等に関する検討会議の「特別支援学校教諭免許状の教職課程コアカリキュラム作成の基本的方向性と考え方」で、指導方法は障害ごとに多くの理論があり触れることが困難と判断したのか、具体的な方法についてはコアカリキュラムで触れないという方向性を打ちだし、それ以降、指導方法に触れないままとなっている。この論理というか発想は、障害の特性と支援や指導の方法の違いを認識しない、誤った認識であり、教員の資質を向上させる上で不可欠の指導方法に関する事項を教員養成段階でスポイルすることになる大きな欠点である。
<特性ごとに指導理論と方法があるという誤解>
発達障害の分野でなんとなく「特性に応じた指導」という考えが無批判に使われている。しかし、発達障害分野における障害の特性は、主に医学的な診断で重視される症状であり、教育上の特性ではない。
「特性の応じた指導」の本来の意味は、例えば知的障害児は抽象的な概念を理解したり操作したりすることが苦手なので、抽象的な学び方よりも、生活に密着した具体的な活動を通じた学習の方が容易であるという、学び方(あるいは、その背景の思考のスタイル)の特性、つまり教育上の特性のことである。それと発達障害の症状としての特性は全く異なる。
<指導方法の理論は、人として共通の部分に関する理論>
指導方法については、例えば遊びを用いる遊戯療法は、情緒障害にも用いるが、自閉症や知的障害、肢体不自由にも使える。カウンセリングはすべての障害で当事者や家族に対しても使われる。すなわち、指導方法、支援方法は障害別ではないのである。
その理由は、子供の心身の活動をより良いものにする指導は、症状に働きかけることは少なく、主に人として障害の有無にかかわらない、人として共通に持っている部分へ働きかけているからである。基本的に障害者用の行動療法があるのではなくて、人として(あるいは動物の訓練も含めて)共通の部分に働きかけるので、理論は共通なのである。
ただ、障害によっては配慮すべき事項もあり、一見障害独特の指導が存在する。しかし、その本質は人間として共通の機能へ働きかけているのである。配慮事項として障害ごとの症状などに配慮することはあっても、本質的に、理論は障害ごとではないのである。
ここでは、例として心理療法的な指導方法、支援方法をあげたが、教育指導の本質も、人として共通の部分への働きかけである。したがって、「特別支援学校教諭免許状の教職課程コアカリキュラム作成の基本的方向性と考え方」は誤解に基づいた過剰な反応と思われる。
<では、どう指導方法を記載するか>
特定の具体的な指導技法を書くことに抵抗がある様子だが、新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議(第1回)議事要旨(令和元年9月25日)には、
「行動に問題のある子供たちに対する指導方法については、エビデンスのある指導方法を全ての教員が学ぶべき。アメリカではエビデンスのある指導方法であるポジティブな行動的介入や支援、機能的アセスメントが、『障害のある個人の教育法』という法律の中で義務付けられている。」と紹介されている。代表例として、具体的に行動分析(行動療法)や遊びの指導、動作法など例示することが可能である。
さらに、具体例を示さないとしても、「諸機能の関連を視野に入れるという前提のもとに」自立活動の6区分に示されている諸機能に影響を与える指導技法を、教員養成課程のなかで具体的に演習等で教えると書くことは可能である。例えば、「環境の認知を向上させる指導方法や心理的安定を向上させる方法、コミュニケーションの方法、運動・動作を向上させる方法などを具体的にデモンストレーションしたり、実習したりすること」と書いておけば、その内容は各大学で、それなりに信頼できる方法を教えるはずである。ただし、完璧を期して6区分のすべてを教えると規定すると、総花的になって駄目である。上記のように、指導方法は6区分の一つに効果があるというより、人としての全体像に影響を与えるので効果があるので、どれかを具体的に学ぶことが、他の方法についても基礎になる可能性が高いので、人的・環境的要因に応じて各大学で工夫すればよいのである。
要するに、指導方法を書かないという方針を改め、例えば「自立活動の6区分に示された諸活動の改善に資する具体的な指導方法を学部の段階で例示し、実習するようにする」などと規定しておけば、あとは大学の腕の見せ所ということになる。
大きな改定であるが、案外簡単なことなのでご検討願いたい。
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教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリック・コメント(意見公募手続)が2022年6月2日から7月1日にかけて行われました。パブリックコメントの内容を公表することは、行政手続法39条等で禁止されていませんので、以下、何回かにわけて、私が出したパブコメの一部を公表することにしました。
「教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリックコメント(意見公募手続)の結果について」という文書が公表され、77件のコメントが寄せられたとのことですが要約して回答しています。
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000239044 コアカリキュラムはほぼ修正なく、公開されました。
パブコメの書式のままでは読みにくいので、不要な部分は削除して掲載いたします。
受付番号: 185001235000000033 <知的障害の教科偏重> 提出日時: 2022年7月1日22時5分
提出意見:
・件名:「特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案について」
<作成の背景に述べられている知的障害の教科の偏重は混乱を生む>
「知的障害者である子供に対する教育を行う特別支援学校の各教科等」が他に比べて重視されているが、それのみを取り上げることで、教科の位置づけが、全体にアンバランスなものになっている。なぜなら、教育課程における教科領域は重要なものとして免許法上もすでに位置づけられているが、知的特別支援学校の教科だけが他の障害種に対して優位にあるとする法的な位置づけを行う根拠がないからである。より一般的に教科として論ずることが必要である。
さらに、自立活動よりも知的の教科が基礎となるような記載も見受けられるが、元々自立活動は、教科のレディネス作りという位置づけでスタートした経緯があり、その後の経過で自立活動がカバーする範囲は拡大し、教科教育が十分可能な発達水準の児童生徒についても重要な領域として拡大してきたとは言え、あくまで教科をも含む教育の基礎として自立活動が位置づけられていることは明白である。
知的障害の教科が最近の学習指導要領で充実され、その内容をイメージしやすくなっているのは喜ばしいことであるが、それが特別支援学校の教育の基礎と措定するのは著しくバランスを欠く判断である。他の障害種の教科に関する諸々の配慮や工夫は、総体として特別支援教育の財産であり、その蓄積は今後とも重視すべきことである。したがって、知的障害の教科のみを基礎と位置付けることで多くの混乱を招いている。
たとえ話をすると、もし知的の教科が基礎ならば、重度重複障害児の個別の指導計画を知的の教科のみで立てられることになる。それは無理で、ぎりぎりのところでは自立活動が基礎であることが明白である。盲ろう児の指導においては、山梨県立盲学校の実践にみるごとく、今日でいうなら自立活動と盲教育の教科が重度重複障害児の教育に役立ったのである。
したがって、知的障害者の特別支援学校を強調せず、「各特別支援学校の教科等」と述べて、各学校の教科の指導を平等に扱うことが妥当と考える。
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教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリック・コメント(意見公募手続)が2022年6月2日から7月1日にかけて行われました。パブリックコメントの内容を公表することは、行政手続法39条等で禁止されていませんので、以下、何回かにわけて、私が出したパブコメの一部を公表することにしました。
「教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案及び特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリックコメント(意見公募手続)の結果について」という文書が公表され、77件のコメントが寄せられたとのことですが要約して回答しています。
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000239044 コアカリキュラムはほぼ修正なく、公開されました。
パブコメの書式のままでは読みにくいので、不要な部分は削除して掲載いたします。
提出日時: 2022年7月1日8時29分 案件番号: 185001235
提出意見:
教育職員免許法施行規則の一部改正での自立活動のとりあつかいについて
七条三項に、「教育課程等に関する科目は、各特別支援教育領域に関する自立活動に関する内容を含むものとする。」と明記したことは一見良いが、特殊教育学会のWGなどが指摘しているように、教育課程等に関する科目ではなく、【第1欄】特別支援教育の基礎理論に関する科目に自立活動を位置づけることが必要である。周知のように、自立活動は学校の障害種にかかわらず、全体的に示した教育内容であり、各特別支援教育領域という個別の取り扱いでは有効性を減ずる結果になることが予想されるため。
提出日時: 2022年7月1日8時43分 案件番号: 185001235
提出意見:
教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令案について
知的障害の教科についてカリキュラムマネージメントが記載されたが、他の障害種の教科についても同様なので、知的だけに書き込む必然性が認められない。おそらく趣旨としては、他の障害種の特別支援学校でも知的障害との重複が認められる児童生徒が多いため、知的の教科を基本として位置づけ、共通に学ぶことを意図したものと推察しているが、それなら、理由を明確にしたうえで、第一欄に位置づけることが必要だし、その位置づけなら、カリキュラムマネージメントだけを強調するよりも、個に応じて教科の内容も設計し、個別の指導計画を立てるようにという点を強調する方が良いと思われる。
提出日時: 2022年7月1日9時1分 案件番号: 185001235
提出意見:
特別支援学校教諭免許状コアカリキュラム案に関するパブリック・コメント
<重複障害における教育課程の取り扱いについて>
盲ろうについて障害者の権利条約に書かれており、国立特別支援教育総合研究所などで、レアケースだけに情報を収集し、かつ、一定数の知識と経験、そして実践力を有する専門家を育成することは必要である。ただし、レアケースなので、コアカリキュラムに記す必要はないと思われる。
また、医療的ケアはある程度検討され、法律も成立したのでコアカリキュラムに記す必要性は低いと思われる。
それよりも、重複障害について言うと、問題があるが対処できていないのは「強度行動障害」の問題と思われる。「強度行動障害」としてとりあげても、「重度自閉性重複障害」と呼んでも良いと思うが、常時監督が必要な程度の重複障害に関する事項を教員養成課程で教えておくことは必須と思う。
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恐らく、以下のURLで良いかと思います。 リンク先の画面の上部にメニューバーがあり、その「Live Schedule」をクリックすると,下記のテーマの写真があるので、そこをクリックして視聴できると思います。
595th Meeting, 27th Session, Committee on the Rights of Persons with Disabilities (CRPD)